で、

2006年2月3日
そんなことよりも。

人の感じ方にどうこう言うのもなんですが、
レトロゲーというか、
クソゲーには、ある種のアフォーダンスが働いていると
考えられます。(便利な言葉アホダンス・・・

つまり、クソゲーたる見かけによって、
クソゲーという了解をとる。
そこに理解や許容が生まれると考えることができます。

ただし、
アフォーダンス理論自体が二次的な原理をもっていて、
"それ"が何をアフォードしているかは、
やはり根本的には人それぞれの経験が判断している。

(理想的な経験を経た上で各人に問わず、
アフォードが収束することを、物体が情報を発する、
と定義するのであれば、UIなどと関連のない理論となるものの
一次的な原理を持つ理論といえるが。
もしかして本来はそっちっぽい?)

ので、
ヘボグラ=クソゲーの認識がない場合、逆に、
ヘボグラ=クソゲーなのにクソじゃない!おもろー
って感じる人よりも、
おもしろ成分が少なく感じられる可能性が
あるようなないような。
うむ、こじつけっぽい。

>オトイラ

の独創性とか着眼点ははっきり言ってどうでもいいです。
それは個人の個性や作風の問題であって、
今回の回ではそれぞれがそれぞれに劣らないような
ものばかりだったと思います。(参加者が言うことか?

オトイラで僕が驚いたのは、
作者さんのその高い想定力です。
というのは、プレイヤーのとる行動に対して、
9割はこうするであろう、
次は9割でこうするであろう、
というように、不確定かつ実用可能なレベルで
確率の積み上げをしている。
これを僕はシステムシナリオと呼んでますが、
フリーゲームでこれがされているのを
僕はほとんど見たことがありません。
ひとつの"確率"に対して次には10割の"結果"で、
確率を実体化させてるのがほとんどです。

オトイラでは確率は上下左右どこにいるか程度の
簡単な想定ですが、
逆に想定が複雑すぎると規模が大きくなってしまって、
悪い例ですが、CODERIORみたくなっちゃう。
そういうバランス感覚も含めて、
実に"怪しいすごい"なあと。

て、参加者なのにガスガス書きすぎ・・・
まあ吼えれることこそ最下位の特権みたいな(自虐かよ!

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ふと思ったけど、
ノベルで、
読み手の感情に対してシステムシナリオを打ち立てると
えらいことになりそうな・・・
でも結局は感情の分岐は信条選択肢であって、
実際にプログラムが分岐できないなら、
少数派をどんどんそぎ落としていくことになるのかも。
感情の和声的な理解もないし、とてもとても・・・

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