今更ながら「ゲーム,プレイヤ,ワールド」の翻訳読んでみました。

長いー
いや、ゲームの定義とゲームの演出法が混じってて、
論文として不純になってしまっている気がします。
六種の条件は全て「ルール」の名の下に統合できます。

読んでる間にわりかし明瞭な結論が出たので、
ちょっと書いてみよう。
こーゆー混ざりものの多い分類論ってのは、
それ以外の要素への言及をいかに排するかが
理論の完全性のポイントだと思う。

■ゲームの定義−ゲームとビデオゲームの違い−

ゲームとは、ルールを定め、
一人以上の人間がそれに従うことである。
このとき、ルールは実生活において
損得と関係するものであってはならない。
(ルールを自由に作ってもよいというルールのみ、
人はなぜルールを作るのかという問題が繰り下がる為、
これを例外とする。)

ビデオゲームとは、ルールに従う一員として
コンピュータがゲームに参加したものである。
従来、ルールに従うものはほぼ人間のみであり、
それ以外に従うものがいなかった。
これに対しビデオゲームは、
意志を持たないが複雑なルールに完全に従う
コンピュータという独特な参加者を迎えることで、
従来のゲームとは一線を画す新しいものとなった。

で、ファイナルアンサーだろう。
ルールとそれに従うもの、という視点でのみ、
ビデオゲームの正確な定義はなされうる。
面白いルールか面白くないルールかは
0から∞まで完全に無関係だす。

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そういえば音楽もこの形で完全に解釈できるんじゃ。
楽譜というルールに従う人間集団、楽団。
ゲームにおけるビデオゲームの支流と
演奏におけるDTMの革新が同じものになるのか。
しかしほんとに虚学ね。

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