ラーバイ

2005年10月3日
http://www.ne.jp/asahi/ensemble/amedeo/program/21st/21stghibli.html
>ナウシカの感情に即した音楽でなく,
>ナウシカの目線で未来の異世界を
>どう受け止めているのかに曲想を持ってきた
>この作品のサウンドトラックは強い印象を残し,

違いが分からなかったけど、
最近なんとなく分かるような気がする。
ZUNさんの音楽コメントも似たようなこと
言ってるような気もする。

この状況で断言できるのだから間違いないだろう。
独りとは素晴らしい。
その素晴らしさに比べれば、
温もりなんてのは所詮無いものねだりだったのだ。
共有はできないのだから、迷ってはいけない。

ラムラーナはこないだやってみたんだけど、
全く進めませんでした。
いやね、ゲームの終わり方として、
難しくてクリアできないってありえると思う。
当時マリオ3やドラクエ2とか自力クリアできんかったけど、
俺のスペックを超えたファックゲーとして、
幼心に刻まれたもんです。
現代の企業製作方針としてはありえないのだろうけど。
個人製作ではそういう、正しいか間違ってるか
微妙で変動的なものを貫くのが大事なんじゃあないのかなあ
とか思ったりするのです。

まさか!
貧乳は気が短い!?
ついでに面食いでまるで引き合うように
偽イケメンとドッキングしてとても迷惑な存在というか、
死ねクソというのはいくらなんでも過般化しすぎでしょうか?

やはり彰秀さんが毎日声高に主張しているように、
これからは巨ロリの時代なのか・・・

シード前に一回見れたんだけど、
キャラが単にその物語中の為に振られた役を演じてるというか、
賢い役、悩む役、ダメな役、ワッショイされる役で、
見かけだけ貼り付けられてて、
すげー素人臭いと思った。
さすが各地で暴言はかれまくることだけはある。

で、偽イケメンってまさにそれなんだよなぁ。
なんっつーか常に何かを演じてる。
大人になることを大人を真似ることだと思ってる。
なぜか世で渋いとされる趣味に必ず一つ二つ手を出しており、
しかしその話題は飲み会で女の子相手にしか出る事はない。
ああだる。

で、そもそも人は真似る動物なので、
ドラマ、小説、漫画、アニメとか、
そういうのに触れすぎると真似に洗脳される。
それがいい真似ならいいんだけど、
大抵真似されんのはぬるぽな真似なんだよなぁ。
いい真似はしんどいから。
ダメな真似は楽だから。

んでダメな事してると不幸せだから、
普通の人見ると、幸せそうねえとか言う。
んで同じ人間同士集まって、余計に不幸になってみたりする。
世の中所詮こんなもんさとか呟いてみる。
でもそんな中でも何とか頑張ってみるんだろ?
浅え。
ていうかそんなもんそもそも不幸じゃねー

真似のせいなんじゃないかと思うときがある。
不幸感を世の中のせいにする。
生きて辛いなら自殺する。
怒りが頂点に達したら周りを攻撃する。
たぶんテレビでもゲームでもインターネットでも、
法規制されたとしても賛成してしまう。

前どこぞの胡散臭い霊能者が言ってたけど、
人は死ぬと子供の姿で霊になるらしい。
最近、そうかもしれないと思う。
たぶん一番の本体は子供の頃なんだ。
それに知識や習慣が折り重なってくっついていくけど、
中から指示を出してるのは常に子供の自分なんだ。

性差の精神構造の違いを最近考えてたけど、
それもある意味、ホルモンバランスで
遺伝子が造形する都合のついた精神。
男性性とも女性性とも判断できないものが、
やはり精神の中には多く目につく。

男が男らしく生きるのが幸せか。
女が女らしく生きるのが幸せか。
そこら辺でよく言われる薄っぺらい意味としてじゃなく、
より純化された動機を分析した上で。

はっきり言って、らしく生きることが幸せの最大保証だ。
細木数子も言っている。

しかしどこか心に引っかかる、
何か懐かしいそうじゃない何かがある。
いわば中性性。
人間が与えられた素晴らしいものとは、
愛とか友情とか老練やらそういうものではなく、
これなのじゃないか?

それは何だ。
いつ始まって、いつ失うのだ。
小学生・・・未熟だが既に非常に高度な対人精神を持つ。
赤子・・・器官がリードする形で神経を構築する。
この時点ではまだ人格は確立されていないだろう。
園児・・・このとき俺何してたっけ?
カバン思いっきり振り回したら女の子の顔に当たって
泣かしてしまった事だけしか覚えてない。

記憶が無いことと、
「本体」が直接活動してるってのは、
なんか因果関係があるんだろうか?
たぶんあるんだろう。
自由なカラダを得てまず何をしていたのか。
その時点でいわば、
前世で虫ケラだか畜生だかそれ以外だったものが、
生物とか自我とか、そういう根本先入観すらなく
見つめるこの世界。
生れ落ちる。
まさにそれこそが素晴らしいことか。
中性性は?

それは寄り代が無を宿した瞬間。
次第に得た肉に準じて予定通りの形に育つ。
しかし、その生れ落ちたそのとき。
肉はまだ形を持たず、
ただ成す為だけに成す、
結果を何一つまだ持っていない状態。
つまりそれこそが人間という種の真本質的な姿。
ひいてはその一つ個人としての真姿。

なんか盛り上げ語ばっかりで実がねーな。

たぶん中性性は小学校低学年あたりか。
鬼ごっこもかくれんぼも男女区別無かったろ?
わかんね。難しすぎるよ。
ただもう人間の考え方じゃないよな・・・
実際の所、俺の現状は
脳がフレーム問題を起こしてる状態に他ならない。
思慮深さの単位概念としてストッパーレベルというのを
定義したんだけど、
これの調節が活動に支障をきたすほどアンバランスで、
論理に寄り過ぎの失敗人間なのさ。

人間知性の進化は過ちの過渡期にある。
己の精神活動を意識で理解できないくらい
理解できるように「進化」してしまった為に、
いろいろと生物として非合理な性質を
顕わにする様になってしまった。
単純に考えて二通りの進化方向が考えられる。
更に進化して己の精神活動を完全に理解するか、
己の精神活動が理解できないことを
理解できない程度の知性のままで留まるか。

恥ずかしげも無く言うのなら、
たぶん俺はその知性自認の一手の一つの一人であって、
しかも失敗作だ。
恐らく子孫は残らない。
だからといって進化分岐の優劣が傾くわけじゃないけど、
俺ですら寿命への無力、紛争への無力、
社会体制への無力、天災への無力、天体活動への無力、
神経構造への無力で絶望しているのだから、
それが完全知性自認級のストッパーレベルとなると、
どれほどの絶望に晒されることになるのか
想像すらできない。
とても発達としての進化がこれ以上、
成功するようには思えない。
あ゛ーやめやめ寝よ。

も、もやし二連でダメにしちまった・・・

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