メルティメルテメルド
2005年5月16日さわやまさーん!
素晴らしきかなグッバイトゥユー。
一年前は読み取れなかったズキューンな台詞がいくつか。
多少は成長してるのかな・・・
むう。
俺論でいくと時間が進むにつれて五次の幅は閉じられてゆく。
あるとき突然宇宙が終わる可能性もあるが、
量子論のいう確率が五次の幅を表しているのなら、
その変化によって物理法則の乱れという
前兆が観測できるかもしれない。
逆に考えると過去に遡るほど、
五次の幅が開いていくと言ってもいい。
ここら辺突き詰めると合法的に物理法則の
非不変性を証明できるかも。
五次の幅が開くというのは点の連続性が
失われていくと考えればよい。
より高い確率で連続性を抜け出すようになる。
車が壁の向こうへ瞬間移動するというあれ。
瞬間移動しているのではなく五次の幅を移動している。
おそらく高等生物が発生した時点で、
五次の幅は相当に狭まっている。
問題はその狭める選択則が何に依存しているかだ。
どう考えても自我としか思えない。
五次が現時点で十分に開いているのであれば、
この理論の延長として、他人は死ぬが自分は絶対に死なない。
という極めてセンセーショナルな結論が得られたのだが、
こないだ聞いた話では既に五次の幅はナノ以下程度らしいので、
どうやら潔く自分が存在できる世界の終焉に沿うて
没していくしかないようだ。
生まれるまでに満たさなければならない
条件が多すぎたということかね。
いいかげんにしんしゃい。
//
待てよ。
自我の死=宇宙の死ということか。
死の近い人間は何らかの物理法則の
乱れを感じてるのかもしれん。
量子がより連続するようになるから・・・
密度が減っていく?いや、時間の流れが遅くなるのか?
そうなるとやばいなあ。
そもそも生存するために次元を選択してきたのだから、
すんなり死ねるかどうか。
一歩手前で時間停止とかするかもしれん。最悪。
まあけど何をして自我とするかどうかか。
点か線か。
て、点でいいならそもそも時間なんて流れねえか。
やっぱり死ぬっぽいね。
痛いなあ。
素晴らしきかなグッバイトゥユー。
一年前は読み取れなかったズキューンな台詞がいくつか。
多少は成長してるのかな・・・
むう。
俺論でいくと時間が進むにつれて五次の幅は閉じられてゆく。
あるとき突然宇宙が終わる可能性もあるが、
量子論のいう確率が五次の幅を表しているのなら、
その変化によって物理法則の乱れという
前兆が観測できるかもしれない。
逆に考えると過去に遡るほど、
五次の幅が開いていくと言ってもいい。
ここら辺突き詰めると合法的に物理法則の
非不変性を証明できるかも。
五次の幅が開くというのは点の連続性が
失われていくと考えればよい。
より高い確率で連続性を抜け出すようになる。
車が壁の向こうへ瞬間移動するというあれ。
瞬間移動しているのではなく五次の幅を移動している。
おそらく高等生物が発生した時点で、
五次の幅は相当に狭まっている。
問題はその狭める選択則が何に依存しているかだ。
どう考えても自我としか思えない。
五次が現時点で十分に開いているのであれば、
この理論の延長として、他人は死ぬが自分は絶対に死なない。
という極めてセンセーショナルな結論が得られたのだが、
こないだ聞いた話では既に五次の幅はナノ以下程度らしいので、
どうやら潔く自分が存在できる世界の終焉に沿うて
没していくしかないようだ。
生まれるまでに満たさなければならない
条件が多すぎたということかね。
いいかげんにしんしゃい。
//
待てよ。
自我の死=宇宙の死ということか。
死の近い人間は何らかの物理法則の
乱れを感じてるのかもしれん。
量子がより連続するようになるから・・・
密度が減っていく?いや、時間の流れが遅くなるのか?
そうなるとやばいなあ。
そもそも生存するために次元を選択してきたのだから、
すんなり死ねるかどうか。
一歩手前で時間停止とかするかもしれん。最悪。
まあけど何をして自我とするかどうかか。
点か線か。
て、点でいいならそもそも時間なんて流れねえか。
やっぱり死ぬっぽいね。
痛いなあ。
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