錬気、瞑想等の物理性とその包括的解釈について
2022年2月5日 ゲーム実際の所、錬気や瞑想など精神的要素が物理的な恩恵を持つことについて、
本当にありなのか?という疑問はあったのだが、
錬気や瞑想による心身の向上と生産性の増加に疑いないのは事実ではある
改めて考えれば人はネットサーフィンをするだけでの心身が上下するわけで、
置き換えれば錬気、瞑想は、
自身の想像力でネットサーフィンを代替していると解釈してもいい
つまりネサフや瞑想は演算力をリソースとした物理力と解釈して問題ないのだろう
そもそもプラセボ効果は広く効果の認められる機序であり、
その本質はいかに精神をポジティベーションするかなわけで、
古来より人間はその手段に様々なレクリエーションを開発してきたわけで、
快を売るという視点ではゲーム自体がそれそのものであり、
それがなぜ人間にとって根源的に需要があるかと言えば、
それは精神的栄養の摂取なのであり、
外部の情報によって精神的栄養を摂取するのとは別のアプローチとして、
自身の演算リソースによって精神的栄養の摂取を目的とするのが、
錬気や瞑想なのであろう
なので、それらにおいてどのような情報を生成し、
いかにコストパフォーマンスに優れた演算を行うかは重要になると思われる
一応深呼吸だけでも効果はあるが、それは本質ではないだろう
本当にありなのか?という疑問はあったのだが、
錬気や瞑想による心身の向上と生産性の増加に疑いないのは事実ではある
改めて考えれば人はネットサーフィンをするだけでの心身が上下するわけで、
置き換えれば錬気、瞑想は、
自身の想像力でネットサーフィンを代替していると解釈してもいい
つまりネサフや瞑想は演算力をリソースとした物理力と解釈して問題ないのだろう
そもそもプラセボ効果は広く効果の認められる機序であり、
その本質はいかに精神をポジティベーションするかなわけで、
古来より人間はその手段に様々なレクリエーションを開発してきたわけで、
快を売るという視点ではゲーム自体がそれそのものであり、
それがなぜ人間にとって根源的に需要があるかと言えば、
それは精神的栄養の摂取なのであり、
外部の情報によって精神的栄養を摂取するのとは別のアプローチとして、
自身の演算リソースによって精神的栄養の摂取を目的とするのが、
錬気や瞑想なのであろう
なので、それらにおいてどのような情報を生成し、
いかにコストパフォーマンスに優れた演算を行うかは重要になると思われる
一応深呼吸だけでも効果はあるが、それは本質ではないだろう
2021年にやったこと
2021年12月31日 ゲーム引き続き首痛に悩まされ、
喉の呼吸不全と吐き気および食欲不振が一年続いた
深夜の救急車にも乗った
もう駄目じゃね?
前半は末星を作っていたらしい
後半は偽先輩を作っていたようだ
ウマ娘をかなりやっていたっぽい
メルブラもほとんど毎日やっていたな
ウディコンゲーは好評でよかった
老化と寿命に関する勉強を始めた
いつからだったか自律神経を整える為に
寝る前に動画を聞きながら瞑想するようになった
よくよく考えると大いなる人生のロスだが
少し気について理解が深まった気がする
喉の呼吸不全と吐き気および食欲不振が一年続いた
深夜の救急車にも乗った
もう駄目じゃね?
前半は末星を作っていたらしい
後半は偽先輩を作っていたようだ
ウマ娘をかなりやっていたっぽい
メルブラもほとんど毎日やっていたな
ウディコンゲーは好評でよかった
老化と寿命に関する勉強を始めた
いつからだったか自律神経を整える為に
寝る前に動画を聞きながら瞑想するようになった
よくよく考えると大いなる人生のロスだが
少し気について理解が深まった気がする
量子の収束は四次元方向の過去の同一物質との干渉で起こっている可能性がある
常に収束を続けるには三次元的な物質の密度が明らかに足りな過ぎるからである
常に収束を続けるには三次元的な物質の密度が明らかに足りな過ぎるからである
非報酬レベルデザインの解答
2021年6月26日 あんちょこ報酬で釣ると逆にやる気を低下させる現象について、
じゃあ何で釣ればいいのよ?という地味に出せてなかった解答の話
報酬で釣るのは実際はかなり強力、しかしモチベを削ぐのも事実
面白さで釣るのは健康的、しかし引力が弱いのも事実
それぞれの欠点を補いたい
報酬形式で副作用を回避する方法は思いつかない
しかし面白さ主導で、取っ掛かりを補助していく方向はベター
この取っ掛かりを誘導する要素として「気持ちよさ」を導入する
報酬で釣らずに何で釣るの?となった時、
出される案は面白さとかになるが、それは弱い
実際に有効なのは気持ちよさなのではないか?
様々なエンタメを眺めた場合でも、
実は核となる面白さよりもそれを演出する気持ちよさの方が量が多いことが多い
ゲームにおいても同様に考えるべきではないか?
つまり面白いゲームとは全てが面白さで満たされたゲームではない
全てが高いゲーム性で満たされていると疲れてしまう
そうではなく、面白さの質は高く保ちつつその量は減らし、
その代わりに気持ちよさの量を多くする
メイン成分は面白さではなく、気持ちよさ
面白さは量的にはサブ成分となる
これが真の黄金比なのではないか?
これまで面白さ第一信仰でやってきたが、確かにそれでいいのかという違和感はあった
ここにきて新しい配分が見つかったように思う
ともすれば気持ちよさはただの演出、装飾として軽視しがちだった、
というか主力にするのに後ろめたさがあったが、
理論としてそれがベストだと裏付けできたのはありがたい
エンタメに気持ちよさは主成分として必要だ
じゃあ何で釣ればいいのよ?という地味に出せてなかった解答の話
報酬で釣るのは実際はかなり強力、しかしモチベを削ぐのも事実
面白さで釣るのは健康的、しかし引力が弱いのも事実
それぞれの欠点を補いたい
報酬形式で副作用を回避する方法は思いつかない
しかし面白さ主導で、取っ掛かりを補助していく方向はベター
この取っ掛かりを誘導する要素として「気持ちよさ」を導入する
報酬で釣らずに何で釣るの?となった時、
出される案は面白さとかになるが、それは弱い
実際に有効なのは気持ちよさなのではないか?
様々なエンタメを眺めた場合でも、
実は核となる面白さよりもそれを演出する気持ちよさの方が量が多いことが多い
ゲームにおいても同様に考えるべきではないか?
つまり面白いゲームとは全てが面白さで満たされたゲームではない
全てが高いゲーム性で満たされていると疲れてしまう
そうではなく、面白さの質は高く保ちつつその量は減らし、
その代わりに気持ちよさの量を多くする
メイン成分は面白さではなく、気持ちよさ
面白さは量的にはサブ成分となる
これが真の黄金比なのではないか?
これまで面白さ第一信仰でやってきたが、確かにそれでいいのかという違和感はあった
ここにきて新しい配分が見つかったように思う
ともすれば気持ちよさはただの演出、装飾として軽視しがちだった、
というか主力にするのに後ろめたさがあったが、
理論としてそれがベストだと裏付けできたのはありがたい
エンタメに気持ちよさは主成分として必要だ